今回は、ずっと前から、いつか書こうと思っていた、ある一人の女の子について書いてみたいと思う。 彼女のイニシャルはT.S。高校を共にした人のなかには、敏感に気付く人もおられるだろう。 なぜ、そんなことを決意したのか。 彼女は、私の脳裏から、常に離れない存在なのである。 彼女との出会いより、私がどれだけ違う私になったか。 彼女との出会いがなかったら、今の私は現実とかなりかけ離れていた物に違いない。 そんな彼女に感謝の意をこめて、そしていまだ果てぬ彼女への想いを伝えたいという気持ちの下に、 そして、自分の気持ちを一度整理しておきたいという思いの下に、筆をとる。 彼女と出会ったのは、私が高校2年、彼女が高校3年の夏休みのことだった。 当時私は、1年のときからかなり受験勉強を進めていたこともあって3年の模試を受けており、 その模試で毎回のように優秀成績者に名前を載せ、3年生の間ではちょっとした話題のタネになっていたらしい。 夏休み、私が江原と学校の生協でアイスを食っていると、彼女が友達と自動販売機の前に現れた。 江原と彼女は顔見知りのようであり、挨拶を交わしたあと、不意に彼女が、 「あー河井君じゃないの?めっちゃ頭ええんやんなー」と話かけてきた。 そのときは私が「いやそんなことないよ」と形式ばかりの挨拶を返し、その場はそれで終わった。 彼女との2回目の会話は、彼女の家近く。 附高祭にでることになった私は、打ち合わせのために当時大学生として私たちと関わってきた人の家にいった。 彼女の家は下宿の管理人で、その大学生は彼女のアパートに下宿していたのだ。 彼とT.Sは仲がよく(といっても男女関係に発展しそうな様子はまったくなかった)、私が大学生の家にいくと、 そこには既に彼女がおり、私をみて「また会った」と声をあげた。 もともとけっこう自分から相手に絡んでくる女性が好みだった私はこのとき既に、彼女にほのかな恋心を抱いていたのかもしれない。 打ち合わせも終わり、次の日の朝になった。 私が起きたとき、メンバーは全員寝ており、私は暇を持て余していた。 「そうだ、彼女に電話してしゃべろう」 そんなことを考えた私は、勝手に大学生の携帯をいじりだし、彼女に電話した。 しかし彼女は電話をとらなかった。移動中だったのだ。 そうして昼過ぎ、彼女から「今気付いた」という旨の連絡が入り、意を察した大学生は私に電話を代わってくれた。 私は彼女と小一時間ほど話し込んだ。受験のこと、附高祭のこと。 彼女はそのたび、私を「しっかりしている」と褒めてくれた。 しかし私にとってそれは大した意味を持たなかった。 私は彼女としゃべれたことがとてもうれしかったし(しかも有意義な会話が出来た)、 彼女も私のことを気に入ってくれたようだった。 そうして私は、出先から帰ってきた彼女がまた大学生の部屋を訪れたとき、附高祭の企画のために作成していた私のポスターをプレゼントした。 それは自他共に認める、カッコのいいポスターだった。 彼女はとても喜んでくれた。私はそれがうれしかった。 私は彼女を、好きになっていた。 それから、私は暇さえあれば彼女に電話をかけた。 彼女も嫌がることなく、電話に出てくれたし、受験生であった彼女は夜中、勉強が終わったあと私に電話をかけてくれた。 こんなこともあった。10時くらいに私が電話すると、 彼女は「勉強が終わってから電話するわ〜」といったため、私はずっと起きて電話を待つことにした。 12時、1時、2時・・・。電話はこない。 しかし彼女に恋をしていた私は、ずっと待つつもりだった。 彼女が私を嫌がっているようには見えなかったし、ウソをつく人間にも見えなかったからだ。 寝室のベッドで、私は米米クラブの「君がいるだけで/愛してる」を繰り返し聞いていた。 歌詞も、今の私のことをうまく表しているような気がした。 しかし結局、その晩、電話は来なかった。 私は落胆に押しつぶされそうになりながら、横になった。時計は午前5時を指していた。 そうして、朝の7時頃に彼女から電話がかかってきたのであった。 「ごめん」 本当に彼女は申し訳なさそうだった。私が徹夜で起きて待っていたことも、私の寝ぼけた声からわかったようだった。 そうして私が午前中を睡眠にあて、午後から登校すると、彼女は目ざとく私を見つけ、昨晩のことを謝って来た。 もちろん、私は気にしていなかった。 そして、そうして電話を繰り返す度、私は彼女に告白することにした。 彼女が私に好意を抱いているらしいことは江原を通じて知っていたし、「あんたと付き合うんやったら河井君と付き合うわ〜」 と冗談を言っているのも、私は知っていた。 そうして決行の日。 彼女からの電話は深夜で、数時間話した後、私の携帯の電源はなくなってしまいそうになった。 携帯をもったばかりだった私は、そんな経験をしたことがなかったので、数分ならまだもつだろうとたかをくくり、彼女に自分の気持ちを伝えた。 と、その途端、その電話は切れてしまったのだ。 私は焦った。非常に焦った。 あわてて家の電話をとり、彼女に電話しようとしたが、電源がきれてしまっているために彼女の携帯の番号がわからない。 仕方ない。私は彼女の家に電話することにした。午前3時のことである。 電話はとられた。彼女もビックリしているようだった。 なんて告白なんだ。自分でそう思った。 彼女は冷静を取り戻していた。 「ごめん、好きな人がいるの」 そうして、その日の電話は終わった。 同時に、彼女への恋も終わるだろう。私はそう思っていた。 しかし後日、おそるおそる電話すると、彼女はこれからも電話してくれていいと言ってくれた。 この行為(好意)が私を引き止めるためだったのかどうかは、私にはわからない。 確信はないのだが、誰にでも優しい彼女のことだ、私にも他の人同様の態度を見せたのではないか。 なんとなくそう思う。 そうして、彼女が受験生にもかかわらず、私の電話は続いた。 私も彼女が受験生であることを非常に気にしていたし、「ホントにいいの?」と何回か聞いた。 そのたびに彼女は「全然かまわない。リラックスにもなるし」といってくれた。 受験を経験したことのなかった私は、受験生が果たしてどれほどのプレッシャー、焦りを感じるのか、全くわからなかった。 受験を気にする私に、彼女はときおり苛立ちを含んだ気持ちで、「気にしなくていいよ」といってくれたのだろう。 私が修学旅行に旅立つ前の日も、私は彼女に電話していた。 そうして話もなくなってきて、「じゃぁいってきます」といって電話を切ろうとしたとき、彼女が「音祭がやばい」と突然切り出した。 「何のこと?」と私は思わず聞き返した。それは私に対し、彼女がはじめて悩みを打ち明けてくれた瞬間であった。 「クラスの音祭つぶれかけてんねん。」みんなヤル気なくて。どうしたらいいんやろう。 受験勉強ばかりしてきた私にとって、その答えは至難の技だった。クラスの行事に、ロクに参加したことがなかったからである。 私は必死に考え、なんとか彼女をはげました。なんとか彼女の力になりたかった。 そして、修学旅行から帰ってきた私は、自分のクラスの音祭推進委員になったのであった。 彼女を支えたい一心だった。本当にそれだけだった。 友人が、そしてクラスメートが、いぶかしがった。 「なんで河井が?あんなヤル気の無い奴。」 しかし私は本気だった。推進委員に友人が比較的多かったこともあり、音祭に関し様々な情報を彼女に提供できたし、 悩みを話し合ったりした。 私は幸せだった。それと同時に、はじめはいぶかしがっていたクラスメートも、じょじょに私についてきてくれるようになった。 私はまたそれもうれしかった。こんな気分がいいのは高校に入ってからはじめてだった。 イベントに参加することの楽しさを知った。そして彼女を支える存在だと自認していた。 こうして、2年の音楽祭は私にとって高校で一番楽しい出来事となった。 今読むと非常に恥ずかしいのだが、当時、私が親しい友人にあてたメールを公開したいと思う。 このメールには、当時の私の気持ちが正直につづられているし、同時に当時の状況を詳細に知ることが出来る。 # 音祭ファイナルもくばられて、とうとう1999音祭も完全に幕を閉じましたね。 すごく、いろんなことを思い出しました。 僕にとっての音祭を語ってみたいと思います。 実は、僕はあそこまで音祭にかかわる気はありませんでした。 でも去年は勉強ばっかりしてて、練習もろくにいかなかったし、 本番も顔見せ程度。 だから今年は一応やるだけやっとこかなって感じやった。 きっかけは・・・T.Sさんだった。 前からけっこうなかよくしてて、一週間に一回くらい電話とかしてた。 修学旅行にいく前の日、電話がかかってきた。 めっちゃうらやましそうにしてて、いろんな話 しててんけど、そのとき、急に 「音祭やばい」 とかいいだした。 そのときはまだ修学旅行とかで、はやすぎる とおもって、「何いってんの?」 って感じやってんけど、3年はそうでもないらしかった。 フコウ祭がおわったら、もうすぐに音祭やねんて。 なんか彼女は、3Bの中心をやってたらしい。 でも美術選択で、クラスにも音楽選択の人 がほとんどいないらしい。 すごく困ってるみたいやった。3Bでられへんかもしらへんねんっていってた。 それが、僕の音祭のはじまりだったかな。 北海道にきてから、何回かT.Sさんに電話したりしててんけど、 まあ旅行のことをメインに話して、音祭の話 もちょっとしてたりしてた。 相変わらず、困ってた。 旅行から帰ってきて、2年も本格的に音祭の 準備をしだした。 そうしてるうちに、推進委員を決める事になった。 なんか少しでもT.Sさんの役に立ちたいなあと 思って、おもいきって立候補させていただきました。決めるとき、瀧田に「けっこうおれ、 ほんまにやりたいねんなあ・・・」っていっ たら、大声で「え?河井やりたいってどういうこと?」 とかいいやがって。 手挙げた時、みんなびっくりして、 「おお〜」 とかいってた。 40人中、35人はノリだと思ったでしょうね。 「瀧田にかつぎだされたんや〜」って。 でもぢつは、こんなわけだったのですね。 推進委員会にいったら、タカヲがびっくりしてた。 バカめ。こっちにはちゃんと魂胆があったんだよ。プププ。 T.Sさんに「推進委員になってもーた」 っていったら、T.Sさんもけっこうびっくり してた。でも、一緒にがんばろっていってくれて。 うれしかったね。がんばろうとおもった。 そうこうしてる間に、けっこうみんな活発に 動き出した。曲が決まったりして、みんなやる気になってきた 3Bは相変わらず、やばい状況がつづいていた。 曲も、2Dが先に決まったりして、あせってるみたいやった。 音楽がそんなにできるわけじゃないから、 どうしたらいいんかわからんみたいやったし、 自分はそんなに中心になるつもりはなかったのに、 誰もおらんから自分がやるしかないって状況 になって、 かなりつらそうやった。 電話でも、そんな話が多くなってきてた。 勉強もあんまりやってないみたいやったし。 かなりストレスを感じてたと思う。 2Dは、快調にみえました。選曲はきにいらんかったけど、 そのあとは割とスムーズにみえた。 仕切ってる奴に中に、変な奴がいたことを除けば。 そして、指揮と伴奏をきめるときに、 7人くらいで話してたときに、 僕が何気なく「ENERGY FLOW」をひいたら、 (もちろん目立つことが魂胆だったが) 「ピアノひけんの??」とか女子にきかれて、 なんか伴奏をやることになった。 その日の晩、T.Sさんに電話して、 「伴奏やるかもしらん」 っていったら、なんと菅野さんも、 伴奏やるかもしらんっていってた。 ほんで話してて、僕もけっこう不安やったから、 どうしょっかなーとかいってたら、 「河井君が頑張るんやったら、わたしもやるわー」 とかいいだした。 もうここまでいわれたら、男として退く訳には行きませんね。 伴奏決定!! 一緒にガンバろって約束した。 でも、実はここからがしんどかった。 口ではかっこいいこといってみたものの、 ピアノなんか最後に弾いたんは リトコンのとき。2年も弾いてなかった。 しかも伴奏の譜面がなくて、自分で 作ることになってしまった。 一見音楽と無縁に見えてもおかしくないのに・・・ 毎晩3〜4時くらいまで、譜面つくってた。 何回も曲きいて、コード確かめて、キーボード で弾いてみて・・・それの繰り返し・・・ 一小節に、30分くらいかることもあった。 ほんましんどかった。 やっと譜面が完成したとおもったら、 今度は自分で作った楽譜が弾けない・・・ 何回練習しても弾けない・・・ もうだめだと、何回もおもった。 やっぱ調子に乗りすぎた。おれには出来ない。やるんじゃなかったって、何回もおもった。 何回、T.Sさんに、「やっぱり無理!ごめん!」っていおうとおもったかわからない。 もう熊野とか川口にどうおもわれてもいいから、やめようとおもった。 このままやったらクラスに迷惑かかるし・・・ みんなを驚かすために、僕が伴奏するってことは、 最後の最後まで秘密にすることになっていた。 普通の練習の時も、みんなに 練習こいっていいまくって、半強制的にこさしたりしてた。 そんなこといってる奴が、自分の役割もできないなんて・・・ 失格だった。 でもやっぱり最後まで僕の気持ちを支えたのは、 T.Sさんとの約束だった。 そう・・・T.Sさんは、僕よりひどい状況だった。 彼女も、全然弾けないらしかった。 しかも、そんな状況で、自分しかクラスをひっぱる奴がいない。みんな、練習にこない。 そして、3Bには、理人がいた。 あいつにも、かなりひどいこといわれてるみたいやった。 何回も、泣かされたらしい。 そのほかにも、練習でピアノが弾けなくて、 責任感じて、泣きながら教室に帰った事もあるらしい。 あの人は、一人で全てをしょいこんでるみたいやった。 体調的にも、相当無理してるみたいやった。 こんな状況で、僕だけ降りる訳にはいかなかった。 そういう状況で、電話で励ましあって、慰めあって、がんばってきた。 でも・・・一週間をきったころ、僕はもう本当に 音祭をやりたくなくなってきた。 熊野が、僕の悪口をいいまくってるってことをしった。 「あーほんま、河井君まじめにやってくれへんわ。ピアノも全然弾かれへんみたいやし。(このときはまだピアノでは練習にはいってなかった。)もうやばいわー。」 こんなことをいってるようだった。 自分ではこんな事をいわれる心あたりがまったくなかったし・・・ もう悲しくて悲しくて、音祭なんかたりたくなかった。 半泣きで河原に愚痴ってた。「音祭なんかやりたくない!」って。 そしたら熊野がよってきて、 「かわいくんどうしたん?」とかいわれて、 もうほんまに切れそうになった。 熊野を睨み付けて、そのままかえった。 そして、ピアノを練習しまくった。 実はその次の日に、僕がはいって練習する 予定だった。 そう・・・ 「次のひの練習で完璧に弾けば、みんな納得してうけいれてくれる!」 ってかんがえた。 そして、次の日の練習で、僕は みんなが注目する中で、伴奏を完璧に弾いた。 ミスタッチひとつもなし♪ 僕はみんなの信頼を勝ち取った。 いやな噂も、全部消えた。 みんな僕を信頼して、ついてきてくれた。 熊野がなにをいおうが、気にならなかった。流れはかわった。流れは僕の物だった。 あと、自分勝手に振舞う熊野には、 本番までいい顔させといて、本番で死んでもらう ことにした。(石井君も同意した!) これについては、あまり多くを語らなくてもいいでしょう。 策謀家としての才能を、いかんなく発揮させてもらいました。 タンバリンの楽譜もつくった。 本番の前の日、みんなでしゃべってるときに、 清水が、「ほんま、河井がおらんかったらDどうなったかわからんよなあ」 っていってくれて、泣きそうなほどうれしかった。 Dの男子は、ノリ系と静か系の対立がかなり激しくて、まとめるのがたいへんだった。 僕はどっちのグループともけっこう仲良かったから、うってつけだったかも。 あと、3日位前に、横田さんが、突然、 ダンスをつけるとかいいだして・・・ それでつくったダンスがもうパラパラみたい なんやったから、男子がみんな切れだして、 次の日の練習にきた男子は4人だったり・・・ いろんなことがありました。 前日の朝練に寝坊して、横縄にめちゃくちゃいわれた。 ほんとうに、いろんなことがありました。 本番、あんまりうまくいかなかったけど、 すごく満足感があった。 「これは、俺がつくりあげた2Dだ!」って。 満足だった。 打ち上げは、のちのち語り継がれるくらいに はめはずして、みんなにおどろかれてた。 「なんかいいことあったんちゃん?」とかいわれてた。 純粋に、満足してた。 T.Sさんは、大変だったみたい。 ずっと弾けなくて、徹夜で練習して、 ちょっとだけ寝て、朝練いって、授業さぼって家返って、練習して・・・っていうのを繰り返してたらしい。 本番も、歌ってるときふらふらやったっていってた。 無理しすぎやね。 直前は、よく電話をしました。 本番の前にも、僕のところにきて、 「がんばって!」っていってくれて、めっちゃうれしかった。 3Bが本番のとき、僕は誘導のとこにおってんけど、 そこにもきてくれて・・・ でも暗かったから、見分けがつかなくて、 「がんばって」っていえなかった。 ちょっと心残り・・・ 僕は、来年絶対グランプリをとるつもり。 T.Sさんと約束したし。 胴上げされたいなあ・・・ 夢ね。 もっといろんなことがあったけど、もう思い出せない。 # という内容のものだ。 このとき、私は人生の喜びの絶頂にいたのかもしれない。 この体験を通して、私は行動的な人間に少しなった。 ひとの気持ちがわかる人間に、少しなった。 リーダーシップも少しは身に付いたのかもしれないし、みんなから少しは好かれる人間になったのかもしえない。 でも、彼女が私に与えてくれたもの、それはそんなシケたものではなく、 なんかもっとスケールの大きい、言葉では言い表せないような温かみだった。 このことは、私の人生に大きな影響を与えたと、自信をもって言える。 本当に彼女に感謝した。彼女のことを好きになってよかった、と心から思った。 音祭の次の日、彼女から電話がかかってきて、 これからは勉強に集中するので電話を出来ないこと、私に感謝していることを告げられた。 そうして私は、受験が終わるまでの間、彼女と接触を絶った。 しかし、それはつらい期間となった。 彼女をほとんど生きがいのようにしてきた私にとって、この期間は孤独な時期だった。 折りしも、昔付き合っていた子が私がもっとも学校の中でキライな男と付き合いだし、ショックで私は自殺を考える日もあった。 本当にT.Sさんを好きなのか、誰でもいいのか。それとも昔の子が良かったのか。 果たして女ってなんなのか。自分に生きる意味はあるのか。 こんなことまで、頭をよぎることがあった。 冬は、毎日こんなことを考えていた。 しかし、そうした冬も終わった。 そして彼女は無事、大学に合格した。 正直いって、浪人したら一緒に勉強できるかもな、などという不埒な考えもあったが、 やはり合格したと聞くとうれしかった。 しかし彼女は、それを私に教えてくれることはなく、人づてに聞いただけだった。 受験をはさんだこの時期により、私と彼女には一定の距離ができたようだった。 私にはそれが、地球と月くらいの距離に思えた。 長期間の断絶を経て、電話の話も、じょじょにかみ合わないものになってきた。 そうしてそういった不安を彼女に打ち明けても、彼女は「全然そんなことはない」といって取り合ってくれなかった。 しかし、私ははっきりとしたものを感じていた。僕たちの関係は、昔とは変わってしまったということを。 同時に、私は自分が果たして彼女にとってどのような存在なのか、大事な存在なのかどうかということに、自信がもてないようになっていた。 そうして私は決意をした。もう一回、彼女に自分の気持ちを伝えようと。 こうしたことが、事態の根本的な打開策になっているとは思えない。 しかし、私はなにかしらの行動に出なければならないという焦燥に駆られていた。 そうして、春のある日。 また私は電話で彼女に気持ちを伝えることにした。 思えば彼女とは、もう長い間顔をあわせてしゃべっていなかった。 気持ちを伝えると、彼女は「一日待ってくれ」といってきた。 前回よりは良いコメント。しかし待ってくれと言われたとき、事が成功する可能性はあまり高くない。 そうして次の日、彼女から電話がかかってきた。 「ごめん、やっぱり前の人が忘れられへんねん。もうその人は浪人やし、会う機会ももうないと思うねんけど、あきらめきられへん」 どうしようもなかった。私の力が及ばないということ。仕方ない。 私がどうだからこうだからという問題ではなかった。 しかし私が抱える問題、「自分は彼女にとって重要か?」には、はっきりとした答えを見出せないままでいた。 そう何度も彼女に聞けることでもなかった。それは失礼だったからだ。 しかしそのことで、私の悩みはますますエスカレートしていくのだった。 一人で考え込み、堂々巡り。それを繰り返した。 当時の私は精神力がさほど強くなく、こういったことを胸の奥にしまっていることは出来なかった。 もう私は耐えられなくなった。 悩みのことをメールで書き、彼女に送った。 ここで、そのメールも一部公開しようと思う。 #なんか、最近すごい不信感・・・ごめんなさい。こんな事考えてる僕はダメ人間・・・ごめんなさい。あほの独り言。 まったく幼稚な内容だ。しかしこのとき、私は本気で悩んでいた。 その答えを求めていた。 しかし、その答えが返ってくることはなかった。 「また電話する」という伝言が最後、ある日を境に、ぷっつりと彼女からの連絡が絶えた。 電話しても、メールを送っても、何の応答もない。 しばらくそういったことを繰り返した後、私は思った。 「ああ、嫌われたんだな。きっと、僕がこういった悩みを抱えているのがイヤだったんだろう」と。 彼女は私の前から姿を消したのだった。 もう二度と会えないだろう。もう二度としゃべれないだろう。本気でそう思った。 「彼女のことは忘れよう。仕方がない。僕が悪いんだ。僕がこんな人間だったから・・・」 携帯のメモリから彼女のデータを消去し、目に付いたメール、着信履歴・・・そういったものも全て消去した。 彼女を忘れなければならない。いつまでも引きずるわけにはいかない。 彼女のことを引きずりつづけても、彼女のことを想い続けても、もう何も得られない。 もう、彼女の声は聞こえない。私には関係のない人間になったのだ、と。 そう、必死に言い聞かせた。しかし、彼女に何度も電話をかけた私の指先は、彼女の電話番号をはっきりと覚えていた。 そうしてその後、私は新しい恋人を見つけた・・・ 新しい恋人のためにも断わっておくが、私はT.Sを失い、なんでもいいと思って新しい恋人を見つけたのではない。 彼女は私と性格のあう人だったし、仲も良かった。自然に付き合いだしたつもりだ。 私の言いたいことは、100%T.Sの影と関係なかったということはない、ということだ。 彼女の影を断ち切りたい。新しい恋人を見つけたら、彼女を忘れられるかもしれない・・・ そういった思いがあったことは否定できなかったのだ。 そうして、私は受験に没頭した。 音楽祭の季節が迫ってくると、さすがにいろんなことが頭をかすめた。 「彼女は見に来るのだろうか・・・来たとしたら、やっぱりしゃべりたい・・・」 こういったことを何度も考えた。 しかし私が3年の音楽祭に関わることは一切なかった。 彼女の影に、触れたくなかったのだ。それが大きな原因だった。 T.Sはきっと、私が音祭に没頭してると思っているだろうな。 そう思われているであろうこともつらかった。 クラスメートはいぶかしがった。去年とは180度違う理由で。 「どうしてやらないの?」「お願い、力を貸して!!」こういった言葉を、何回も耳にした。 しかし私は、こういった声を無視し続けた。 つらかった。 その反動の気持ちを、私は受験にぶつけた。猛勉強をした。 ときおり彼女のことが頭をかすめつつも、私は勉強を続けた。 そして、東京大学に合格を果たした。 受験に出かける前、合格を知ったあと、私は彼女にメールを送るかどうか迷った。 しかし結局、私はメールを送らなかった。 断ち切らなければならなかったのだ。彼女を。 そうして、私は東京へと旅立った。新しい生活が、私を待っていた。 もうこの頃になると、さすがに彼女のことを考えることも少なくなっていた。 彼女は、過去になりつつあった。それでよかった。そうしなければ、私は暴発してしまったからだ。 東京で、私は新しい恋をした。今までの恋人と別れ、私は関西人の特権を少し活かしつつ、楽しい毎日を送っていた。 そして、新しく好きになった人に告白した。 その人はかなりビックリしていた。そうして一日待たされた後、私はフラれた。 彼女からの返事を聞かされた日はクラスコンパの日で、私はフラれることを予想して、相当酒を飲んでいた。 彼女から電話がかかってきたのも、酒をのみすぎ、半ば追い立てられるようにしてクラスコンパから帰らされた帰り、 渋谷駅にいたときだった。泥酔したまま私は電話をとり、彼女の返事を聞いた。 もうそのときは、なんでもいい気分だった。酒もまわっていた。 私はたてつづけに、その子に関して相談していた友人に電話をかけ、フラれたことを伝えた。 そうして4人目に電話した後、不意にT.Sのことが頭をよぎった。 「そうだ、彼女に電話しよう」 酔った勢いで、私は懐かしい電話番号を押した。 03番号だったからだろう、電話の相手は、不審な声で「誰??」と聞いていた。 実に、1年ぶりの会話だった。 彼女はすぐに私だと気付いてくれた。そして私たちは会話を大いに楽しんだ。 彼女も打ち解けて私としゃべってくれ、今まで自分がとった行動を私に詫びた。 彼女も何回となく私に電話しようとしたという。 そんな彼女の行動がうれしかった。わだかまりは溶けたのだった。 彼女によると、今までの私は、何かカッコをつけた、そんなしゃべりかただったらしい。 おそらく私が彼女に少しでも自分を良く見て欲しくて、そんなしゃべり方になってしまったのだろう。 しかし、もう違った。私は自然体で会話できたし、彼女もそんな私のほうを気に入っているようだった。 会話は数時間に及び、どっちも電話を切りたがらなかった。 そして、電話は終わった。 酔っての上ではあれ、私はこの行動を今も後悔していない。 電話してよかったと、胸を張っていえる。 彼女も、そう思っているだろう。 それから、又電話のやりとりが続くかに思われた。 彼女は何回か私に電話してくれたようだったし、私も何回か電話をかけた。 楽しかったあの日々が、戻ってきた。私はそう思った。 しかしその日々は、電話の行き違い、また彼女が合宿中、そんな理由から、長くは続かず、自然に消滅した。 私も帰省したとき、たまにメールを送ったりしたが、通り一遍の答えが返ってきただけだった。 私は、まだいまいち彼女がどんな人間なのか掴み切れていないようだった。 そうして、今に至る。 ここまで書いてきて、いろんなことが頭をよぎった。いろんなことを思い出した。 楽しかった時期を思い出して口元が自然に緩み、辛かった時期を思い出して涙が出そうになった。 本当に懐かしい。これを青春時代というのだろう。 正直に言おう。やはり私は、彼女のことが忘れられない。 愛情とかとはちょっと違う気持ちが、私の胸にはある。 彼女への想いを、そして彼女との関係を、きっちりと私の中でけじめをつけていないということも、大きな理由のひとつだろう。 彼女に会いたい。彼女と話したい。これが私の正直な気持ちだ。 私の声は彼女に届くのだろうか。届いたとして、どうなるのか。 届いたとき、どういうことになるのか誰にもわからないし、 それを見ることが正直いって怖い。 今の気持ちを、全て消さなければならないかもしれないことが怖い。 もし付き合ったとしても、遠距離であるし、性格も実はあまりあわないのかもしれない。 すぐに別れてしまうのかもしれない。それは誰にもわからない。 しかし、それならそれでいい。 私は、彼女のことをもっとよく知りたいのだ。それに尽きる。 私が知らない彼女の魅力、私が知らない彼女の欠点。 そういうものを、見てみたい。 これを書いていると、とても彼女が恋しい。 今も彼女が、私の中で大きな存在であるということは、彼女と出会ったときから、ずっと、変わらない。 私の人生に多大な影響を与えてくれた彼女に、心から感謝の意を捧げる。 THE MEMORY OF T.S